第八話,センジュ・プレート108,四苦八苦沙汰,自作ミノー

ようこそおこしくださいました!フミニイです!

いつもの食卓。

腕の良い歯医者さんのお陰様でまたまた美味しくご飯が食べられる。

歯医者さん、ありがとう!

 

テレビを見ていると、所ジョージさんが

『たとえコンビニのおにぎり一個でもどんな状況で、誰と一緒に、どんな心境で食べるかにより、

品素な食事にもなるし、贅沢な食事にも成る』

的な事を申されていた。

おっしゃる通りの大賛成です。

そして『理想の妻』との食事

『だから!歯医者さんに早く行けと言ったのよ!歯抜けじじいになったら2度と一緒に行動しないからね!ちゃんとやってよ!』

と。 

イヤイヤ!この世には

歯抜けじじいと仲睦まじく暮らす、歯有りお婆さんもいる事でしょうに、えらい言われよう。笑 

しかしそんな事はちょっとしたお笑い沙汰。

責められ好き、ドヤされたがりでは無い私ですが。

今日も楽しく食事ができます。

ありがとう! 

 

そして

『センジュ』は

期待以上の優れもの!

釣りの神様、ありがとう!

御家芸の防水粘土バージョンで

フローティングとシンキングを制作します。

宜しく御見守りください。

普段、ド・シャロー系、シーバスデイゲーマーの私とて、

シャロー用フローティングミノーで、

じっくり魚を引っ張り出す様な釣りを

粘り強く繰り返す様な芸当はそうそうできない。

ホリデーアングラーなる物、少ない時間の少ないジアイを物にする観点から、

なんだかんだで行き着く所『バイブか、ワームか、スピン系』を多用しがち。

確率的にもこの三択が最右翼で、

ミノーやシンペンは時間や野心にゆとりがある時の

嗜み的位置づけになっているのは、私だけではないでしょう。笑 

それでも昨年などは徹底的に、ミノーとシンペンをクローズアップして

『なるべくガツガツ釣果に固執せず、引き出しを増やすべく体験、体感を重ねる』と、

張り切ったが、

ただでさえトホホな釣果実績は

地底の暗黒におちた。笑 

しかしシンペンでのジャークでの留めバイトとか、

マユの完成とか、

収穫も沢山で、無駄ではなかったとも思える。

 

何より、

そんなこんなで『センジュ』の段階に突入出来た事は、

様々なミノー失敗沙汰あってこその成果。

バス用ルアーのノウハウを求めるがまま体感したのも、私的には大きい。

私とて本職は技術職なので、

あからさまな脱線のリスク。

無意味さも、意義も、短所も長所もよく認識出来る。

それでも遠回り必至覚悟で、

物事の確信をあえて踏まない歩き方を重ねた。

尚且つ、本道を遠目に、

しかししっかりと見ながら歩いた。(んな、大仰な!)

舗装されていない泥道を歩いた。

 

最近通う近所の川。

流れのある上流域の瀬で、シーバスはおろか、バスさえ見当たらない、ナマズさえちらほら見る程度。

そんな流れの強い川で昨日はヘボベイトタックルで軽いフローティングのダイバータイプのクランクを投げる。

タックルバランス的に明らかに不適合なベイトタックル、ナイロン4号糸のMHの竿。(ビッグベイト的な、笑)

もちろん飛ばない。笑

しかし手前側をそんな状況下でアップに投げるとラインもルアーもハッキリと見える。

ベタつけしたライン、流れに先行して弧を描き始めると、

ルアーの向きは流れに並行して進行し始める。

そこでアタリを取るためのラインテンション、弧を維持できればバカナイロンでも竿先に情報は伝わる。

逆にその『弧・状態の世界観』ではチョットのテンションの強弱でルアーは動き、潜る。

実際海の潮の流れのなかで、ある程度の遠投をして

細く感度も秀逸なはずのPEラインでは強く感じれなかった、

アップドリフトの『釣れるぞ状態』(コレ、その作戦を継続する上で必須の精神状態) なんだか会得できたように思えた。

濱本氏を始めとする、ドリフトの名手の動画でのレクチャーが、

ドン!とふに落ちた。

そして苦手であった

『フローティングミノー』

実にその浮いて潜る感覚が、

流れと共にリズムを刻む感覚が潜在意識に染み付いた。

そこに何を言わんか?『センジュ』が現れて、四苦八苦中と来ている。

気持ち悪いぐらいに『何か』合致した。

巻いて引っ張り出す芸当はもちろん。

浮かしているだけでちょこまかキョどるセンジュの可能性。

しばらく向き合うに何のためらいも無い。

(しかし『小海老バイブ』と『プリズム』も完成系を作らないと、忙しや!汗)

続く

第七話,センジュ・プレート108,四苦八苦沙汰,自作ミノー

ようこそおこしくださいました!フミニイです!

得体の知れない疫病コロナ。

マスコミが必要以上に煽っただの、致死率が高い、感染率が高い、

やれ細菌兵器のテロだだの。

ビビるにふさわしい不確かな情報が入り乱れ、

皆さんも私も大好きな志村けん氏が犠牲になられた事もあって、

社会不安の波は一旦ピークになっていた。

しかし収束を待たずして

人類の科学の効や、

災いに強い日本人の気質なのか?

精神的苦痛の全体的ピークは峠を越した感を感じる。

『なるように成る』

『ジタバタ言っても始まらない』

『専門家のいう事をきいて、専門家に任せるしかない』と、

元々、物分かりの良さは地球随一を誇る。

国家シンクロニシティが可能な国民。

世界が認める国民。

時として世界が恐る国民。

 

『仕方ない』となった時の日本人の団結パワーはもの凄い。

別意見を言えなく成る。

根拠なき自身と野心に満ち溢れがちな若い頃は、

ソレが実に嫌悪感や不快感を感じる事もあったけれど、

バブル崩壊・阪神淡路大震災・台風・コメ足りず騒動・リーマンショック・3.11などを経て、

日本の誇りでも有ると。

つとめて守るべき風習でも有ると。

深く思い、悪い箇所だけ修正して行けば良いと思った。

人は誰かに支えられて、誰かを支える。金八先生じゃ無いけれど、

様々な温かみに触れ、そして誰かに必要とされる事こそ、探し求めた渇きを癒す私の拠り所で有ると知る。

そんな時、ソレを崩さないソフトが日本人にはデフォルトでインストールされている様に見えた。

大都会以外の日本のコミュニティ的な部分では、

意地でもコロナにかからない的な

強靭な秩序が存在し、幾つになってもならず物的な(爆)私は

奇異なものとして扱われる。

特に関西の熟練のオカン方。

案外ドッシリと構えて居る風で有るが、このモードに突入したら、

私は何も情報を集めなくとも

周りから簡単に多彩な情報が人伝いに入手できる。

 

ソリャ日本に長く住み、海外の状況が一目でわかるこの時代。

『日本を変えなきゃ!』と思う事も多々あろうかと、ですが、

『変えたらアカン!』いい部分も沢山有る事も忘れないで暮らしていきたい。

 

さて!

有難い仏教の仏様の名前を拝借した『センジュ』

特定の宗教を強く信仰したり、団体的宗教結束を強く望んだりしないスタンスを長く貫いてきた私とて、

仏教の仏様のそれぞれの役割分担の設定を知ると

心躍り、心安まる。

 

仏様の顔は笑ってる訳でもなく、考えている訳でもなく、男でもなく、女でもなく、

『無』という万能な『有』である。

『ゼロ』という『無量大数』であるのだとか。

あらあら?また脱線している。爆 

本当にいろいろ感謝のセンジュ。

魚目線の秘めた挙動を目標に取りかかったが、

それプラス、理想のスラロームというおまけがついて来た。

出来過ぎ感は計り知れず。笑 

えべっさんに二回もお参りした効果か?(賽銭は貧相だったのにありがたや!)

こんなに期待出来るんだったら、

御家芸の防水粘土ボディを試さでか?で。

アガチスの素晴らしさと、その厄介さを学んだ所で一旦粘土パターンをためす。

コレも御家芸的なステンレス板と針金の複合ベース。

粘土は軽比重のモデナソフトを使用。

ついでにサイズ感も精査する。そもそも108mmのサイズ感って、尾鰭を付ける構想下での話で、

現状88mm前後である。

実際削ったり、改良したりする中で『アガチス版プロト』は80mm程度になっていた。

粘土は粘土で骨が折れる。整形をボチボチやって行く的な芸当は出来ないし、テンプレートに依存する事もできない。

なんとか完成。テストの結果、せっかく後方重心なんだから、もう少し飛ばしたい。

思い切って3倍の重りをしかけた。続く