ようこそおこしくださいました!フミニイです!
前回、兵庫県の川について聞いた事をまとめてお知らせしました。
今日は川繋がりで
気になる昨今の大河川氾濫について、
私が聞いたお話をまとめてお話しようかとおもいます。
大型ダムで命拾いしている人もいれば・・・。
最近、風力発電や水力発電などの『自然エネルギー』などと呼ばれている発電方法が再注目されています。
二酸化炭素を出さず風や川の流れ(位置エネルギー)に便乗し、タービンを回し電気を得ると言うもの。
古から人間は風車や水車を使い様々な作業的動力を得ていた訳ですから、普通と言えば、余りにも普通な人間の営みの一部とも言えます。
その上、大型ダムの水力発電となると、
一部では河川の決壊を防いだり、
水道水の水源になったりと、
一度作ってしまえば
『一石二鳥』いや!
『一石三鳥』だったりもする訳です。
例えば有名な黒部ダムが発する電力は
主に阪神工業地帯の発展の礎として、当時では多大なる電力を供給していたらしく。
そう考えると我々としては『お陰様で』と心から感謝するしかない訳です。
反面
そういったダムが作られる事により、
美食家の愛した名川の鮎が犠牲になったり、
琵琶湖に注ぐ河川の鮎が砂を吸い込んで食味の妨げになったり。
清らかな水の流れを誇る川が泥川に変貌したり。
もちろん代償はたくさんあり、漁業や観光業的には致命的大迷惑になっている事実もある事でしょう。
治水のために作ったはずの大型ダムが治水の妨げに?
最近よく耳にするのが、治水ダムが治水の妨げになっているケースもあるという話。
山の上から水が集まりその傾斜のエネルギーで流れは川底を削るように平野まで。
ゴロ石など大きめの堆積物はその平野に留まり、
細かい砂や泥は下流に運ばれて、自然の営みとしては扇状地を広げていく訳です。
ところがダムが設置されやすい、中流の上流ぐらいの場所でその流れが堰き止められてしまうと、流れの押し(位置エネルギー)を発電所のタービンを回すために奪われるのだとか。
本来なら河口まで一気に流れ出るはずであった砂や泥は中流に止まって堆積するそう。
そして流れも緩やかになっているとその堆積物を浄化する水流も得られず、汚れた川は洗ってもらえずに汚れていくのだとか。
しかも、そんな状況下で泥たっぷりのダムに溜まった水を放水したりすると、
更にその上に泥が堆積して、水を受け止めるはずの河川が浅くなり都市部の川の決壊を招くという説があります。
災害とは普通の大地の営みでしかないという考え方も興味深い
実は我々が主に住う『平野』という場所。
実はこれも川のごく普通の動きの中で普通にできていくもの。
川が決壊すれば川は川幅を広げ。
新たなキャパを自然に構築していく。
言うなればその大地に必要な幅と水深を必要に応じて、アップデートして行っているにすぎないという訳です。
『人間目線ではそれが未曾有の大災害であったとしても、大自然目線としてはただ単にアップデート』だそう。
そういえば豊臣秀吉さんが絶対に水害を出さない意気込みでその権力と財力を費やして完成させた淀川の人工アップデート。
その大阪の大河川『淀川』は、幾多もの町を立ち退きして膨大に広げた大河川。
多少の事では決壊など有り得ない程のキャパシティーを有しているようです。
逆に武庫川は強固な堤防を構築した事により
川原の幅を狭めて有用地を確保し、阪神地区の発展の原動力になった模様。
河口付近の重工業系産業の繁栄。
宝塚の名観光地化。
などは明らかに川とうまい具合に付き合えた一例ではないでしょうか。
これからは科学や技術の進歩が、自然を守るべき
元来、日本人は世界的に見ても、自然と仲良くする才能を持った文明人。
物を無駄にせず、かと言ってボロボロに散らかる訳でもない素晴らしいモラルを継承しています。
海外と交流し、様々な考えを受け入れていくのも、得意。
そして、日本の優れた土木技術はアジアをはじめとする様々な世界の土地に貢献しているとか。
自然と共生しながら高度な科学や技術、そして誉たかきモラルを発揮して、
日本や日本人が再び地球のお手本になるべく胸を張って生きていきたいもの。
古より様々な災害に見舞われては立ち直って来た、日本人だからこそ自然に対してできることは沢山あるはずです。
そしてとかく工事の通行規制なんかが有ると手放しで嘆く方も多いかとお見受けしますが、
そういった技術に守られているということも忘れずに敬意の念を持って利用したいと思います。
これだけ様々な技術や理論が構築されて、人々が環境というものに注目していくなかで
理想的な自然と人間の共生がどんどん充実していくことを一釣り人としても、とても期待しています。
私は私で出来る限りの自然保護(丁寧なリリース、いる分だけ食べる、ゴミは持ち帰る)を
より一層徹底しようとおもいます。